オーストラリア生まれ、インドネシア育ち。

この問いを探す旅は、音大の頃に始まりました。
ピアノは、ずっと弾いてきました。でも、ピアノを弾くこと、音楽って本当は何なんだろう——その問いが、長いあいだ、私の中で答えを探していました。
音大の受験期は、40度の熱が出ても練習。卒業式に出ることも、友だちと遊ぶことも、許されませんでした。弾く曲も、一日のスケジュールも、ぜんぶ、ピアノの先生からの指示でした。
第一志望に落ち、受かった大学がどんなところなのかもよくわからないまま、入学しました。履修の組み方も、友だちとの話し方も、わからなかった。
自分で決める、という力が私の中に育っていなかったのです。
ピアノは、今の私にとって、なくてはならないもの。でもあの頃は、弾く理由を見失い、「私はなんなんだろう」と迷走していました。
夫に出会って、旅が広がります。結婚したてのあの日、「小説を書くために、世界を見たい」と夫が言いました。夫は、外資系の金融会社を寿退社。それから二人で、世界中の民族音楽家やアーティスト、いろんな背景を持つ人たちにインタビューをしながら、住むように旅をしました。その途中で夫は映像人類学に出会い、イギリス・マンチェスター大学へ。そして研究先が、ルワンダになった。


私は、これをチャンスだと思った。ルワンダに、魂から、暮らしに根付いた音楽があるんじゃないか。行ってみたら、あったんです。
2019年から1年の滞在。村からいろんなものを吸収して、日本に帰り、京都で音楽教室をリスタートさせます。
それから5年。やっていくうちに、自分のやってきたことを、もっと深めたくなった。ちょうどその時、また夫がルワンダへ行くことになる。私も、また行くと決めました。この音楽が村でどこまで通じるのか、試したかったんです。
村にも行きながら、隣の人、カフェで会った人、散歩で出会ったご夫婦。その縁で、現地のナーサリーと小学校で教える機会をもらいました。ポリタンクを叩いて歌ったのは、この時のことです。
経歴も少しだけ。フェリス女学院大学の音楽学部器楽学科ピアノ専攻を出て、在学中から伴奏、ミュージカル、オペラ、バレエの現場でピアノを弾いてきました。教室では、0歳から90代まで、1000組以上と向き合っています。
旅を続けるうちに、問いが変わっていきました。音楽とは何ぞや、ピアノとは何ぞや。そこから、人を知りたい、自分を知りたい、に入り込んでいく。
生徒さんと向き合う中で、自分の中で、子育ての中で。人と関わることのもどかしさを知って、あらゆることを学び始めます。コーチング、脳科学、音楽療法。シュタイナー、レッジョエミリア、イエナプランの教育。包括的性教育、東洋と西洋の哲学、人類学。どれも、目の前の一人にちゃんと向き合いたくて、必要になって身につけたものです。
その全部を通して、どこでも同じ結論に行き着きました。ルワンダ、イギリス、アメリカ、メキシコ、フィリピン、エクアドル。どの土地でも、まず整うのは心と体の土台で、学びも音楽も、その上にしか乗らない。だから私は今、発達特性支援士を名乗っています。
そして、バラバラに足した学びを、混ぜご飯にまとめてくれたのは、家族です。マルチモーダル人類学者で詩人の夫の、ちょっと引いて世界を見る真っさらな眼差し。そして娘。国籍も宗教も民族も違うどこへ行っても、娘は娘のままでいます。その姿を、私はずっと見てきました。この二人のそばにいるうちに、別々だった学びが、少しずつ一つの器に混ざっていきました。
娘は、ルワンダの村で踊っていた子です。今は日本に帰ってきています。夫とは、世界のフィールドをずっと一緒に巡ってきました。二人が、私の音楽を今も耕してくれています。
京都を拠点に、musicandをやっています。まだ、音楽とは何ぞや、ピアノとは何ぞやを探しています。たぶん、これからも、ずっと。

夫
マルチモーダル人類学者・詩人・アーティスト
著書
・flowers like blue glass(詩集)
・ふぃっしゅのーちい(詩でもあり小説でもあり)
・平等主義暴力―ポスト狩猟採集民トゥワとのマルチモーダル人類学
